ねぇ、知ってる?
彼女の他愛無い問いかけに答えるのは、日々の幸せに違いなかった。
繰り返す日常が遠くなった今、昨日と同じ明日はどう足掻いても訪れない。けれど間違いなく、昨日より今日の方が幸福に近づいている。今日よりも明日が幸福に近しい。繰り返す日常は、平穏な日々は、手繰りよせねばならぬ記憶の果てにあるのではなく、きっと自分達が進む未来にあるのだから――そう信じて戦い続けている。
軽やかな足音が聞こえて、ロックは顔をあげた。体の重みなど何処にもないかのように、薄くて細いからだを空に泳がせ運んでくる。彼女の緑髪が揺れる様に目元が和んだ。
「ティナ」
呼べば彼女は小さく笑う。その微笑みを見て、ロックは心の奥底から温かなものが溢れてくるのを感じた。
彼女がそうやって僅かにも微笑んだり、ささやかでも喜んでくれたり、たったそれだけで救われる何かを感じる。彼女が年頃の娘らしくなっていくのが、ロックは心の底から嬉しかった。
「ロック、ねぇ、知ってる?」
「うん?」
横に並んで座ると、ティナは首を傾げて覗きこんできた。彼女はこのごろ、新しいことを知るとロックへ教えにやってくる。それらは他愛無いものばかりだが、どれもが嬉しく愛しい。
「嬉しいときも、手を叩いていいんですって」
「拍手のこと?」
「ええ。私、知らなかったから」
恥ずかしさなど微塵もなく、素直に感動を伝えて微笑むティナの華奢な身体を、ロックは堪えきれずに抱きしめた。拍手のもつ意味を、彼女がどう知っていたのかを推測するのは容易い。けれどそれを口にするのは決して簡単なことではなかった。
この両腕の中におさまってしまうほどの小さな体は、どうしてこんなにも苦難を包み込んでいるのだろう。噛み締めた奥歯が鈍い音をたてる。
「……ロック?」
ティナの訝しげな声に、ロックは小さく首を振った。今は彼女の顔を見るのが怖い。
ああ、君が日々の幸せなんだ。君がそうして、普通になっていくのがこんなにも嬉しいんだ――ロックは胸を締め付ける思いの全てを腹へとしまい込む。
いつかこの世界が平穏に満たされたとき、ロックは再び探検と冒険へと身を投じるだろう。そうして手に入れた財宝を見て、歓声と拍手を送るティナの姿を思い浮かべる。いつかの幸せが、その形になるよう願う。
言葉に出来ない想いを腕に込めると、ロックはティナの名を小さく呼んだ。
昔書いたものを焼きなおしてみました。
うーん、やっぱり文が若いです_| ̄|○
魔大陸後、最終決戦前です。