そう、例えば。
君と一緒にいられるのが、これで最後だったとしても。
*
出会いは、世間一般的な男女のそれとは、遠くかけ離れたもの。
俺は、帝国に対抗するための重要な戦力として、ただ彼女の安全を確保するために。
そして彼女は、突然に戒めを解かれたまま、何もわからないままに。
……記憶さえ、失ったままに。
俺たちは、出会って。そして、剣を取り、走り始めた。
俺にはまだ、帝国への復讐という、目的があった。
でも、彼女には、何もなかった。記憶も、感情も。そして、俺たちと共に戦う理由も。
俺たちもまた、彼女を利用していただけ。
それでも、彼女は来てくれた。戦うことを、選んで。
帝国と、形式的な『和平』の道が開けて。俺はティナと、サマサへ赴くこととなった。
ベクタの帝国城に残る仲間たちに、くれぐれも用心するように伝えて。帝国の将軍レオと
待ち合わせたアルブルグの街に向かっている。
ふたりで旅するのは、ずいぶんと久し振りのことで。あのナルシェ脱出以来だったと、今
さらながらに思う。
「ティナ、大丈夫か? 疲れてないか」
「ええ」
言葉少なに会話を交わし、旅路を急ぐ。
「ロック」
ふと、ティナが自分から口を開いた。滅多にないことだ。
「どうした?」
「私、サマサについては、あまり学んでいなかったの。帝国では、あの村をあまり重要視
していなかったはずだから。ロック、何か知ってる?」
ティナが小首を傾げて尋ねる。俺は、自分の記憶の中からかろうじて、サマサに関する情
報を引っ張り出していた。
「サマサか……。辺境の小さな村だけど、俺も行ったことがないんだよな。特別目立つも
のなんて、聞いたことないし。何で幻獣たちは、あんな辺鄙なところを目指したんだか」
「……なぜかしらね」
ティナは何やら、考え始めた。
「幻獣たちは、もともと争いを好むものじゃないはずなの。だから帝国で、魔導研究所の
幻獣たちを見て怒って暴れたのはわかるんだけど。なぜあの場所に行ったのかしら」
彼女らしい、考え方だ。確かに幻獣の同胞があんな非道な扱いを受けていたと知ったら、
誰だって怒るだろう。
「さあな……。だけどその答えはきっと、サマサへ行けば自然とわかるような気がするよ。
俺たちは何たって、幻獣を探して和平の道を探るために行くんだからな。奴らとしっかり
話し合わなきゃな」
俺が答えると、ティナはじいっと俺を見つめて。それから短い一言を吐いた。
「ロック、お願いがあるの」
「何?」
ティナは一瞬間を置いて、それから静かに言った。
「もし、幻獣たちが見つかったら、話は私がするから。あなたは危険だから下がっていて。
それと……」
彼女はそこで、口ごもる。
「ティナ?」
様子がおかしい。明らかに普段の彼女とは違う。
俺は彼女の表情をよく見ようと、一歩近づいた。すると、彼女は慌てて俺から遠ざかる。
俺に見られるのを、拒否するように。
「どうしたんだ?」
「いいえ、別に。何でもないわ」
何でもない、ってことはありえない状態だったが。彼女の雰囲気は、俺にそれ以上の追及
を許していなかったから。俺は話題を切り替えた。
「ティナ、さっきの話、何て言おうとしてたんだ」
「え? あ、うん。別に、何でもないの」
答えるティナが、なぜか辛そうに見えたから。
「わかった」
俺はそれ以上、話すのをやめた。
アルブルグに着いて、レオ将軍と対面すると。今回の『同行者』としてあろうことか、セ
リスとシャドウを紹介された。その後、将軍から言われるままに宿へ行き、俺たちは休息
を取ることにした。
夜中、ふと目が覚めて。外に出たときに、セリスと会って。何も話せぬままに、彼女は去
り。俺は何だか、空しい気持ちで部屋に戻った。
なるべく物音を立てないように、扉を開ける。宿は帝国軍の将校数名も宿泊していたこと
もあり、今回はやむを得ずティナと一緒の部屋だったから、気配に敏感な彼女を起こさぬ
ようにしたかった。
すると。
「……ロック!」
ティナの声。
「ティナ、起きてたのか……」
俺は部屋に入り、そのまま言葉が続かなかった。
ティナが、泣いていた。
「どうしたんだ!?」
慌てて駆け寄る。頬に涙の跡がはっきりと残り、瞳も紅い。
「な、何でもないの。ちょっと目にゴミが入っただけで……もう、大丈夫だから」
ティナは、俺から視線を逸らして。慌てて寝床に潜り込もうとするが。
「大丈夫って顔じゃないだろ!」
俺は彼女の毛布を強引に剥ぎ取って、その顔を自分に向けさせた。
きゅっときつく結ばれた唇。瞳はなおも、俺から外されたままで。端整な顔に、浮かぶの
は苦悩。
「何があったんだ?」
「……」
硬く閉ざされた、その口は。何も語ろうとはしない。
「俺がこっそり、外に出てたからびっくりしたのか? だったら悪かった」
まるっきり、検討外れなことだとは思ったけど。彼女が強い不安を覚えて、脅えていたの
なら。俺の不在さえ、その引き金になりかねなかったから。あえて謝罪を口にした。
すると。彼女は大きく首を横に振り。
「違うの、ロックのせいじゃないわ。ただ、ちょっと……。ちょっとだけ、気になっただ
けだから。気に、しないで」
慌てて俺の言葉を否定する。
「気になったって、何が」
「あ……」
問いかけると、ティナは両手で口元を押さえて。上目遣いに、ちらりと俺を見つめて。
やがて、手を外すと。
「あ、のね。本当に、大したことじゃないの。だから……言わないでも、いい?」
遠慮がちに尋ねてくる。俺の感情を、量りかねているのだろう、きっと。
だけどな、ティナ。
「勿論、駄目だ。ちゃんと教えてもらう」
俺はきっぱりと言って、彼女の頬にまだうっすら残る、涙の跡をそっと手で拭う。
柔らかで、きめ細やかな白い肌に、痛々しいほどの跡。
「………」
ティナは、また押し黙って。紅い唇は、閉ざしたままで。
「……ティナ」
俺は再度、彼女の名を呼んだ。俺の今の想いを込めて。
どうか、泣かないで欲しい。ひとりで全部、飲み込まないで欲しい。
ちゃんと、辛さも悲しみも、ひとりで抱えないで欲しかったから。
やがてティナが、ゆっくりと口を開く。
「………………ロック」
噛み締めるように、俺の名を呼んで。水晶のように澄んだ瞳で、俺を見つめる。
俺はただ、黙って彼女を見つめ返す。互いに映る、互いの表情。
彼女の瞳には、これ以上はないほどに真剣な表情の俺。
俺の瞳にはきっと、悲痛な表情の彼女。
「あのね、昼間言わなかったお願い、今聞いてもらっていい?」
沈黙を破り、ティナがか細い声で問う。じっと俺を見つめたまま。
「ああ」
俺も小声で答えて頷く。瞳に彼女を宿したまま。
「もしかしたら……幻獣と会ったら、また共鳴して、私の力が暴走するかもしれないの。
前は空を飛ぶだけで済んだけど、今度はどうなるのかわからない。もしかしたら……人を、
傷つけてしまうかもしれない」
ティナは一旦、口を閉ざして。そして。
「万が一そのときは、私が皆に危害を加えないように……どうか、皆で私を倒して」
きっぱりと、俺を見つめたままに。彼女はそんな、言葉を吐いた。
考えてみたこともなかった。
幻獣と、ティナを引き合わせたときの共鳴。ナルシェで身をもって体験したのに。
確かにあのとき、暴走した彼女は。その場に居合わせた俺たち全員を、跳ね飛ばすほどの
力を発揮した。その前に、彼女が帝国兵としてあの氷漬けの幻獣を奪いに来たときも。彼
女は幻獣と共鳴し、一緒に来ていたはずの二人の帝国兵は、今でも行方不明。
完全に覚えては、いなかったとしても。彼女がその危険性について、危惧するのは尤もな
事で。更に、それに全く思い当たらなかった、俺たち全員が。彼女にとんでもない負担を
強いていたのだと、今になって思い知らされた。
「お願い、ロック……」
消え入りそうな声で、囁くと。ティナはぎゅっと、瞼を閉じる。涙を俺に見せないように。
その様が、あまりにも可憐で痛々しいから。
俺は何も言えないまま、彼女をぎゅっと、抱き締めた。
華奢な身体が、不安のためか。小刻みに、震えていて。それでも、俺にすがりついたりせ
ず、人に頼ることを知らない彼女が。
ただ、悲しくて。それ以上に愛しくて。
「───大丈夫だ。ティナは絶対大丈夫。ちゃんと自分を取り戻したから、絶対に、暴走
なんてしない。そんなこと、絶対にさせない」
彼女に、そして俺自身に言い聞かせるように、囁いた。
「…………うん」
ティナは、そう答えるのがやっとだったようで。その後、押し殺したような啜り泣きが聞
こえてきた。
俺はただ、彼女が落ち着くまで。抱き締めることしか、できなかった。
やがて、泣き疲れた彼女が、俺の腕の中で眠ってしまうと。俺は静かに、彼女を抱き上げ。
ベッドにそっと、横たえる。
思っていたよりも軽く、柔らかな体に。毛布をそっとかけて、寝顔を眺める。
頬にはまだ、涙の跡。指で払うと、真珠の輝きを残して消えた。
「ティナ……」
そっと名前を呟いて。翠の髪を、弄ぶ。
こんな華奢な身体に、世界の命運を預けられて。本当なら、逃げ出したいのかもしれない。
それでも必死に生きる、彼女が。あまりに綺麗で、純粋で。悲しいほどに、強いから。
「必ず俺が、君を守るよ」
誓いのように、囁いた。
*
君と一緒にいられるのが、これで最後だったとしても。
それでも僕は、君を守る。
だって、僕は君を………